アンダルシア仕事&親戚行脚旅行
仕事とバカンスを兼ねてアンダルシア地方を回って来ました。ルートはグラナダ→セビージャ→マラガ→ロケタス・デ・マル→マイレナ→ベルハ→エル・エヒード→アルメリアです。
10月18日~20日:ロケタス・デ・マル(Roquetas de Mar)とマイレナ(Mairena)に滞在(前回の記事「マラガのチュロス?」はこちらから)
義両親の生まれ故郷マイレナ村へ
マラガでお昼を食べ、お義母さんの妹、ロサおばさんのいるロケタス・デ・マルへ向かいます。彼女は最近故郷のマイレナ村の家を別荘として購入したので私達を招待してくれました。(まぁ、彼女の家がダメでも親戚がたくさんいるので泊まるところには困らないんですけどね…)
マラガからロケタス・デ・マルは高速道路が建設中なので、海岸沿いで景色は最高ですが距離以上に時間がかかります。ネルハ(Nerja)なんて有名な白い村の近くを通りましたが、お義母さんもロサおばさんとの再会を心待ちにしていたので今回はパスして先を急ぎます。到着は午後7時だったのでロケタス・デ・マルのロサおばさんの家では寝ただけで観光もなしでした。(観光するような町ではないと言っていたけど、夏のビーチは素敵みたいです。)
翌日は朝10時にマイレナ村に向けて出発! 途中、ベルハ(Berja)といういとこのペパ(マイレナからの帰り道に泊めてもらいました)の家がある町を通りぬけ、ウヒハル(Ugíjar)というこの辺りでは一番大きな町で食料などを買い込み、シエラネバダ山脈を目指します。
ウヒハルではお土産にアルプハラ(Alpujarra)産の生ハムも買いました。人生初丸々足1本お買い上げで心が踊ります。
当たり前ですが、海岸沿いのロケタス・デ・マルからシエラネバダ山脈の麓にあるマイレナまでは全て登りで、ウヒハル(標高550m)を抜けると、山道と呼べるようなウネウネした中央線のない道路になります。この辺りの住人は慣れているので結構飛ばして運転しますが、ちゃんとアスファルトで舗装されているので思ったより快適なんですって。素晴らしい景観とくねくね道路はバイカーに好まれるようで、ツーリングしている人をたくさん見かけました。
マイレナのロサおばさんの家
そしてお義両親の故郷、マイレナ村に到着!写真一番左が道路から見たマイレナ村です。人口は現在250名弱だそうですが、夏は帰省組や別荘を持っている人などで結構活気があるそう。でもこの時期はのんびりしたものです。日本の過疎地と同じく子供は少なく、高齢者が多い村です。
そしてこちらがロサおばさんの家。坂道だらけの村なので、小さな部屋が地下から最上階までいくつも続きます。そして昔からある村の家なので暖炉もちゃーんとあります。ここでロサおばさんの旦那さんのパコおじさんが美味しいご飯を2回も作ってくれました。
地下は道具部屋で家を売ってくれた人が残していった昔の農作業用の道具がそのままにしてあって雰囲気抜群。こんな物をみて大喜びするわたしを見てロサおばさんは笑っていましたけど。
そして、トイレ・シャワー室のドアは、パートナー君より頭一個分低かったです。中はひろいんですけどね。
マイレナ村滞在中には色々な人の家におじゃましましたが、普通は家族の写真や絵画などで家をもっと飾りつけています。でもロサおばさん達はここに住んでいるわけでは無いのでデコレーションは少な目。今思うと部屋が何個あったか思い出せません…ロサおばさん夫婦、お義母さん、わたしたちの5人でまだベッドは余ってました。
1920年~30年のアンダルシアの村の生活が分かる本
1920年~1934年にマイレナ村近くのジィェセン(Yesen)村に住み着いていた、イギリス人の書いた「グラナダの南へ スペイン農村の民俗誌」という本です
ジェラルド・ブレナン著で、彼はスペイン関係の本をいくつか書いているようです。1920年代のウヒハルや、マイレナ村も家を借りる候補地だったなんて記述もありもあり、お義母さんのお父さん(パートナー君のおじいさん)が子供の頃の暮らしがわかるんじゃないかと興味津々です。
単行本なので、写真もあるんじゃないかな? 読んでみたい! わたしはとりあえずKindle本で英語の原著(South From Granada)を見つけたので、原著から読み始めています。(和英辞書が付いているので読むのは簡単!)次は日本で単行本を手に入れたいなー。
次回は、お義両親出身の「マイレナ村の風景」をお届けします。
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